この日記に書くのも3回目のトリエンナーレである。
時の流れは早いものだ。
今回メインとなるキナーレの作品は蔡國強。まあふつう。
新しくできた施設は清津倉庫美術館。
戸谷成雄、遠藤利克、原口典之を展示している。
彼らの作風に合ったシンプルでセンスの良い内装。
新作のアネット・メサジェの作品、室内を出て建物から離れて気付く屋根が怖い。
しかし総じてレベルは高いが予想は出ない印象。
予想を出たのは大巻伸嗣か。シャボン玉が消える瞬間に悲しくなりため息が出る。
また、過去の作品で2度目に訪れたインドネシアのダダン・クリスタントの作品は
2006年から再度制作されたとのことだが、見直した。
風を目で見て耳で感じ、見えないものに対する豊かで明るい感性を感じさせる作品は
佇んでいるだけで笑みを浮かばせる力を持っていた。
土地の持っているものをうまく引き出した作品。
2015年7月 26日(日)~ 9月13日(日)
越後妻有地域
会場はかんらん舎。
かんらん舎は去年見た横浜トリエンナーレで知った。
そうそうたるアーティストを日本に紹介した有名な画廊らしい。
行ってみたらとても小さな画廊で、迷ってしまった。
しかし企画内容は去年の横トリでやっていた、
詩人たちの戦意を鼓舞するテキストを(ガラス越しではなく)
実際に閲覧できるという充実した内容だ。
これに加え、陸軍美術協会が手がけた「大東亜戦争 陸軍作戦記録画集」を
解説の地図付きで一覧できるというもの。
これがびっくり。
藤田嗣治の戦争画は近代美術館の展覧会やテレビでも紹介したことがあり、
理事長の立場で描いていたことは知っていたが、いや、あるいは戦争の残虐性を
後世に残そうとして描いていたのだろうと勝手に解釈していた。
(またテレビ番組ではそのような報道内容だったように思える)
これがどうやら隠れ反戦絵画ではなかったらしい。
以下はARTiTの記事から抜粋。
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今日のため、四十余年の歳月を私はすごして来たと明白に言ひきることが出来るのである。
今日、腕を揮つて後世に残すべき記録画の御用をつとめ得ることの出来た光栄を私はつくづく
有難く感じてゐるのである。絵画が直接御国に役立つと言ふことは何といふ果報なことであらう。
私は右の腕は御国に捧げた気持でゐる。(「解説 あとがき」)
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ちなみにこの画集には私の好きな川端龍子や山口蓬春も入っている。
人間が如何に環境に左右され易い生き物なのかをあからさまにした展覧会。、
また、戦後もそれを隠蔽し続け、都合のいいことだけを信じ続ける私たちの愚かさを
(画家も詩人も戦前戦後ともに非常にポピュラーな作家なだけに)
目の前に突きつけられたかんじでショックです!
私たちは隠蔽している。それを自覚せよ!という展覧会。
2015年8月25日(火)-9月19日(土)
かんらん舎
付け、何人かでデコレーションする。
その後、ビニールに空気を入れ気球のように5メートルほど浮かせることになる。
浮いた魚を見た同僚の一人が「あれ、反面しか装飾してないですよ」と指摘する。
確かに半分しかデコレーションされていない。
それよか気球にするなんて聞いてないしピンで孔空けちゃったけど
大丈夫かなあと思う。
浮いた気球を走らせ、幼稚園バスに幼児たちをのせドライブする。
みんな魚を追いかけるのが楽しそう。
まあいいんじゃない?浮いているし装飾反面でも子供たち気にしてないし。
その店は日本画関係者でよく使われるらしく、○展の人たちが
豪華絢爛なイブニングドレスを着て居酒屋入ってくる。
「きっと会合があるんだね」とひそひそ話しながら見ていると
居酒屋エリアを通り越して店奥の部屋に飲み込まれていく。
パーティかなんかだろうか。
30分ほどすると再び居酒屋エリアを通過して店を出て行く。
「大変だね」とやはりひそひそ話ているがなんとなく下層階級の気分ともいえる。
同席の人たちは家が遠いらしく「私たちもそろそろ帰りましょう」と席を立つ。
まだ9時前だったが、まあいいかと電車に乗るが
間違った路線に乗ってしまう。もときた方に乗り換えるが
普段使わないその路線は混んではいないが電車の中に電気をつけていなく、
真っ暗である。外の光で青白く浮かび上がる車内を見て
空いた席に座ろうとするが光が入ったり入らなかったりでよく見えない。
また乗車している人たちは無言で前を向いて座っている。
ああなんてこった。
安保法案、衆院委で可決 与党が採決強行
http://www.asahi.com/articles/ASH7G7QXDH7GUTFK01P.html
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