http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140419-00000014-jij_afp-int
記録し忘れるところだった。
貴重な作家を失った。
大変な影響力を持った作品を書いたと思う。百年の孤独は永久保存版。
しかし先日読んだ「わが悲しき娼婦たちの思い出」は
川端の「眠れる美女」とは違いロマンチックでほほえましくすらあった。
晩年メキシコに住んでいたとは。
2009年に彼女が亡くなってから初めて見るヴッパタール舞踊団の舞台である。
09年以降に見たものといえばヴェンダースのドキュメンタリー「踊り続けるいのち」だが
3Dが見辛かったことくらいしか記憶に残っていない。
「コンタクト・ホーフ」は以前来日した時も持ってきた作品のようだが初めて見る作品。
初日のせいか、補助席も沢山出ており、生前の舞台に比べ大盛況で驚いた。
上演時間は休憩も含め3時間と長かったが長さは特に感じなかった。
大きな盛り上がりはなく、淡々とシークエンスが繋がっていく。
しかし
(あの鴨の映像を流すシーンはどんな意味だったのだろう?とか)
(出演者が同時にそれぞれの母国語で自分の恋愛体験について話す音声がとても心地よかったこととか)
気になったシーンはいくつもある。
以前どこかでバウシュについて読んだ本にも出ていたと思うが(題名失念)
この作品に於いてはそれらのシークエンスが最後に辿り着くシーンが衝撃的で、
男性達の愛撫に耐え切れず女性が崩れ落ち、さらに新しい女性が現れることにより、
飽きられた玩具のように女性が置き去りにされるシーンは、
これが動物としての人間の正体だと思わざるを得ない。
恐らくそれぞれの鑑賞者が実感として感じるはずだ。
さらに、そのようなスケープゴートが生物としての弱さからくるのではなく
社会的に創り出してしまう人間の正体を見たというべきか。
ただ、この作品からというよりピナ・バウシュの作品の中には
そんな人間に対しても多角的な見方や愛情表現も示されるのだが。
近所の八百屋に行った。
レジで並んでいたら隣のレジで牛乳1パックだけ持って並んでいた女性の前に
50代の女性が横入りした。
レジの機械に至る前が通路のため、ちょっと間隔が空けて並ぶことになっている場所だったので
勘違いしているのかと思って見ていた。
牛乳1パックの女性は暫く茫然とした顔をしていたが
何も言わずに、さらに横のレジに並びなおしていた。
気の毒なことである。
と思いきや、会計を終えた私が袋詰めの場所に並んでいたところ
先ほど横入りした50代女性が店を出たので入れ替わりに入ったところ
買い物かごが置きっぱなしである。
ここに至って2回共確信犯だと気が付いた。
「ババア!待ちやがれ!」と言いたいところをぐっとこらえて、
ババアの買い物籠を所定の場所に移動する。
こんなことでこんなに腹を立ててバカみたいだぜ私、と思うが…。
佐村河内氏ではなく新垣氏が作品を発表していたら
これほど売れたのだろうかという疑問はやはり持ってしまう。
ワインやレストランもそうだけど人はやはり作品に付随する
ストーリーを必要とするものなのだなと。
交差点で自転車を降り、信号が変わるのを待っていたところ隣に立ったおばあさんに声を掛けられた。
「渡るの手伝ってくれない?」と。
小さくてよぼよぼした方だったので信号が変わるまでに渡りきれるか、転んだりしないかと心配なのだろう。
しかし私も自転車である。
片手自転車片手おばあさんというアンバランスな状態で信号を渡る。
しかも渡り終わった後、手を離してくれない。不思議なことだ。「あなたどちらへ行くの?」と聞いてくる。
そこから続く狭い歩道を二人と自転車が並んで進む。危ないし、他の歩行者は通れない。
途中親子連れとすれ違ったが彼らが車道に出てよけてくれた。
まるで私の配慮がないかのように感じる。
そんなことに頓着なく、ネコが通ると「今のネコよね?」とか言ってくる。
ご近所らしい人が「あら」と声を掛けてくる。
しかし私が「どちらへお住まいですか?」と聞いても「あっち」と指差すばかりで明確な応えは無い。
うーむ。何に巻き込まれたのか私。
結局付近の団地のおばあさんの棟の前まで送っていき
「ではここで。さようなら」と切り出して改めてプールへと向かった。
横断歩道だけならよかったんだけど、これはホント。
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