日本民藝館での棟方志功展を見る。
ここは古い木造建築と織物など民芸常設展がまず素晴らしい。
企画展である棟方志功は版画は少なく、肉筆画と書が中心だが、この人の肉筆は勢いがありすぎてかなりヘン。
逆にいうと木版は非常に洗練されていてこのヘンさは出てこない。
木版を期待していた私ははじめちょっとがっかりしたが
過剰さや強引さや無駄の合間に触れることの出来るこの作家の息吹には、何かよい気分にさせられるものがある。
受け手が何か分からないうちに大らかな気分になって受け入れてしまうものが作品のなかにあるように感じられる。
橋本治「ひらがな日本美術史7」の棟方志功の項は、この感じが分かる象徴的に面白い部分があるのちょろりと紹介。
手元に資料がないので以下は引用ではなくニュアンスです。また(括弧)部分は私のコメントです。
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棟方志功は18歳の時、青森で給仕をしていたがゴッホの作品に触れ
「わだはゴッホになる」と例の有名な言葉とともに上京する。
しかしそこで出会った8歳年長の川上澄生の木版にまたも感激し、あっさり木版に転向。
初期作品は川上澄生に酷似している。
にもかかわらず棟方は自身の作品に、明らかに川上澄生に対するであろう、こんな文言を彫りこんでしまうのである。
「一すじみちを行く人 先を行く人じゃまです」
ずうずうしいことこの上ない。
しかし川上澄生は「人のじゃまにならぬよう生きていきたい」。(なんとなく宮沢賢治調)
うつくしい時代である。
(なお橋本治はこの後、棟方志功が川上澄生のどんな部分に響いたのか、
表現の内容についてを話を進めていくのですがそれは本文を読んでください)
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ちなみにその作品はこれ
http://image.blog.livedoor.jp/tomooji/imgs/5/f/5f31a9a7.jpg
ホント、美しい時代である。
読んでて大笑いしつつ、橋本治の客観的でありつつも肯定的な態度も含め、思わず感動しました。
そんなところが作品に現れるのだからたいしたものだ、と読んだ後ふりかえる。
6/14まで
http://www.mingeikan.or.jp/home.html
川上澄生展も開催中
6/7まで
http://www2.sogo-gogo.com/common/museum/archives/09/0509_kawakami/index.html
15年前の合鴨の件については鳥飼いの友人知人から「それは絶対威嚇である」とのコメントをいただいた。一安心である。
ところで近所のカルガモが私に寄ってくることは前回記したが、何故にじり寄るのか、その理由が分かった。
最近4羽いるうちの1羽の首周りがやんわり緑になってしまった。繁殖期に入ったのだ。
(というのはおかしな話で、調べるとカルガモは繁殖期にも衣替えをしないそう。
しかしその他はカルガモっぽい。何かの掛け合わせか?)
オスは今、3羽のメスへの猛烈アタックで大忙し。
とにかく「一番近くにいるメス」を求めてとぴ回る。
他人事ながら「おまえは誰でもいいのか!」と思い、節操がないためそいつを「あたる」と命名。
こんなんでは当然?メスに嫌われる。特に2羽のメスは「ちょーうっとおしい。むかつく」という態度丸出しで
逃げまくる。そして私の傍ににじり寄ってくる。
あたるは気が弱いらしく、メスが人間の傍らにいると、追撃を諦め、他のメスに向かって方向転換するというからくりなのだった。
私の傍に辿り着いたメスはというと「ふーやれやれ」という風にどっこいしょと腰をおろして休憩している。
私としては合鴨と違って嫌われてないのはいいけど、ちょっとさみしいと思います。
一羽、まんざらでもない風に見えるメスがいるが、折角その傍に行ったあたるはなんだかぼーっとしている。どうしたらいいのか考えているのか?こんな調子でカルガモ親子が誕生する日はやって来るのだろうか。
(つづく?)
公園にはカルガモもいる。
じっとしていると、よちよち近づいてくる。
この人たちはいつも大変大人しくかわいらしい様子である。
ところで私は過去、合鴨を育てたことがある。
大学の卒業生が記念として研究室に寄贈した雌雄のヒナをベビーシッターとして育成したのだ。構内に住んでいる猫に食われないくらい大きくしてから最終的には庭の池に放すのだが独立後、その人たちは大変凶暴な鴨になった。
とにかく人間が池に近づくと駆け寄ってきて(あるいは飛沫を飛ばしながら全速力で泳いできて)つつきまわす。手を出すと噛みまくる。容赦ないのでとても痛い。育てた私ですら池の傍を通るときは走っていたほどである。
唯一、研究室の主任教授だけが「あれは愛情表現だよー。人間を親だと思ってるんだよー」とのたもうていたが、そうは言っても近づいただけで痛い目に合うので奇襲攻撃を掛けられているようにしか思えず、学生も捕まえて遠くに飛ばすなどの反撃に出たり、池ではバトルが繰り広げられていたようだ。私には高校の時にも学校で飼っていた白色レグホンに痛い目にあっており「ま、子供時代はかわいかったが鴨も凶暴なもんなんだな」「猫に食われなくてよろしい」くらいに考えていた。
しかしこないだテレビで見てしまった。
埼玉の公園で散歩中しているひとりのおじさんを同じように追い掛け回しつつきまくる白鳥を。
その白鳥は「なついていてかわいい!」「なぜこの人だけなんでしょう!くやしい!」と評価されてい、おじさんも「いやーこうなるとかわいいね」といっていた。
がーん。
教授の言っていたことは正しかったのだろうか。
本当に親だと思って慕ってきていたのだろうか(タマゴから孵った瞬間には立ち会ってないが)。
合鴨。。15年も前のことなので、もう死んでしまったか。。。
近所の公園にスケッチに行く。
ここんとこ連日で行っているため、ちょっとした発見や変化が面白い。
例えば青天だった昨日は咲きかけの紫陽花の葉の下に張り付いている蝸牛を発見したが
雨の本日は失踪。代わりに500mほど離れた藪に別の蝸牛を発見するがそいつは葉の上で
ぐるぐるとダンスをしている(ように見えたが何をしていたのだろう)。
雨上がりなので目当てにしていた小魚は隠れている。
しかし浅い池の底で昼寝をしている鯉を見つけたので、動かないのを幸いに描いている途中で
犬散歩のおじさんが声を掛けてくる。
スケッチをしていて困るのは、スケッチをしている人を見て、
和んでいるとか、リラックスしているとか、思うのか知らんが
話し掛けてくる通行人がたまにいることだ。
だが、植物も動物もちょっとしたことで変化するので、実のところスケッチとは時間との戦いなのである。
案の定、話し声に気付き、目を覚ました鯉はついーと泳いでいった。
私が「ああ、いってしまった」とつぶやくと「生き物だからね。ハハハ」とおじさんは犬と散歩に戻ったが
「ふざけんな、このやろう!」と思われていたことは知るまい。
それにしても世の中には赤い蝸牛や毛の生えた蝸牛もいるんだなあ。すごいなあ。↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%83%84%E3%83%A0%E3%83%AA
http://www.asahi.com/showbiz/enews/RTR200905180078.html
自分の治療のような、重要な作品が、
「エンドロール中の観客からの少数の拍手は、大ブーイングにかき消された。 」
のか・・・
ほんと発表って難しいんですね。
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