といっても本日で終了する展覧会なのですが。
既にテレビで放映されたこともあり、カタログも売り切れだそうである。
土日はチケット売り場が30分待ちとのことだが。
近所に住む絵描き友達と平日の午後早い時間に会場に。1室目には数名のお客さんが。
友人によると「とても混んでいる」とのことである。
フロアは概ね3つに分かれており、
1つめは美術館のショーケースをそのまま使った展示で窓はなく、照明は作品の豆電球のみ。
ショーケースに反射して密やかで幻想的な空間を作る。
ショーケースの中を歩くこともできるようになっており、そこではショーケースの中のものと外にあるものと
ガラスの反射が視覚的に交錯しており、しかもモノが全て小さな、透明なモノなので個人的で不思議な空間を感じることが出来る。
二つ目は窓からの自然光のみ。青系のプリント布が全体に敷かれてあり
その上にはとても小さな文字がプリントされた手のひらくらいの紙が重なってある。
三つ目は外の吹き抜けにリボンをつるしたものと、天井につるした透明無色ビーズの紐と、床に置いたジャム瓶に入った水。
何が言いたいかというと、
我々が「はっきり見たい」と思って電気をつけたりすることにより
損なわれてしまうようなものに気付くことができるように作られた展示空間、ということだ。
しかしこういうインスタレーションがある中、絵画の役割はどこにあるのでしょうかね。
瓶には水が入っているが、傍にこぼれた跡がある。「毎朝注ぎ足すときにこぼれたのかな」と思う。
鎌倉館を出て、葉山館のイタリア在住の日本人彫刻家の展覧会(詳細省く)を見て
再び夕方、舞い戻り、池に面したベンチに座って
池の上につるされたビーズ紐を見ながらあんドーナツとペットボトルのお茶を飲む。
夕方の光で見ると二つ目の空間がとても違う。
昼は布だったが夕方には海原のように見える。
三つ目のリボンは透明っぽいので昼の光があたったほうがきれいに感じられた。
そのリボンを見ながら歩いているうちに、なんと足元の瓶を蹴りたおしてしまう。
「すすすすみません!!!!」と言うと「いいんです、大丈夫です」と監視員の人は言ってくれたが
破損がないという事実よりも、日常行為を持ち込んで展示空間を破壊したことに深く落ち込む。
よろよろと一室目に戻り、友人に「おら、とんでもないことしただ」と告白すると
「ああ、それで昼も水がこぼれてたんだ。たしか水のポットもおいてあったもんね」と慰めてくれる。
しかし一人になりたくなくなったので友人にくっついて二つ目の布の部屋に戻ると
監視員の人が友人に声をかけている。地元の友達かと思い、会釈して美術館を出たところ
バイト先の病院の顧客とのことである。
「看護婦さんって言われた…絵で食えないからバイトしてるのに、美術館でも看護婦さんか…」
と友人も落ち込んでしまった。しかも看護婦さんじゃないし。
-2010/1/24
神奈川県立近代美術館
内藤礼
「すべて動物は、世界の内にちょうど水の中に水があるように存在している」
http://www.moma.pref.kanagawa.jp/museum/exhibitions/2009/naito/index.html
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