近所の八百屋に行った。
レジで並んでいたら隣のレジで牛乳1パックだけ持って並んでいた女性の前に
50代の女性が横入りした。
レジの機械に至る前が通路のため、ちょっと間隔が空けて並ぶことになっている場所だったので
勘違いしているのかと思って見ていた。
牛乳1パックの女性は暫く茫然とした顔をしていたが
何も言わずに、さらに横のレジに並びなおしていた。
気の毒なことである。
と思いきや、会計を終えた私が袋詰めの場所に並んでいたところ
先ほど横入りした50代女性が店を出たので入れ替わりに入ったところ
買い物かごが置きっぱなしである。
ここに至って2回共確信犯だと気が付いた。
「ババア!待ちやがれ!」と言いたいところをぐっとこらえて、
ババアの買い物籠を所定の場所に移動する。
こんなことでこんなに腹を立ててバカみたいだぜ私、と思うが…。
佐村河内氏ではなく新垣氏が作品を発表していたら
これほど売れたのだろうかという疑問はやはり持ってしまう。
ワインやレストランもそうだけど人はやはり作品に付随する
ストーリーを必要とするものなのだなと。
交差点で自転車を降り、信号が変わるのを待っていたところ隣に立ったおばあさんに声を掛けられた。
「渡るの手伝ってくれない?」と。
小さくてよぼよぼした方だったので信号が変わるまでに渡りきれるか、転んだりしないかと心配なのだろう。
しかし私も自転車である。
片手自転車片手おばあさんというアンバランスな状態で信号を渡る。
しかも渡り終わった後、手を離してくれない。不思議なことだ。「あなたどちらへ行くの?」と聞いてくる。
そこから続く狭い歩道を二人と自転車が並んで進む。危ないし、他の歩行者は通れない。
途中親子連れとすれ違ったが彼らが車道に出てよけてくれた。
まるで私の配慮がないかのように感じる。
そんなことに頓着なく、ネコが通ると「今のネコよね?」とか言ってくる。
ご近所らしい人が「あら」と声を掛けてくる。
しかし私が「どちらへお住まいですか?」と聞いても「あっち」と指差すばかりで明確な応えは無い。
うーむ。何に巻き込まれたのか私。
結局付近の団地のおばあさんの棟の前まで送っていき
「ではここで。さようなら」と切り出して改めてプールへと向かった。
横断歩道だけならよかったんだけど、これはホント。
先だってあいちトリエンナーレに行ってきた。
こんかいのトリエンナーレのテーマは「ゆれる大地」。
名古屋市美術館ではアルフレッド・ジャーの黒板プロジェクトが展示されていた。
暗い室内には抽象絵画のようなものが床置きされているが
よく見るとチョークなのだ。
隣の部屋に入るとやはり暗い室内に大きな黒板がいくつもかけてあり
震災前の小学校を彷彿させる。
と、黒板にはふと「生ましめんかな」という文字が浮き上がってきた。
なんとなくその後を感じさせる展示だと思って見ていたが
つい昨日、たまたま栗原貞子の「黒い卵」読んでいて、再びこの言葉に出会ったのだ。
それは原爆後の負傷者死者がいっぱいの真っ暗な地下室の中で
重症の産婆が子どもを取り上げるときの言葉なのだった。
黒板プロジェクト画像
http://www.nagoyanavi.jp/130819topix.htm
http://moonpice.jugem.jp/?eid=433
栗原貞子『生ましめんかな』
http://home.hiroshima-u.ac.jp/bngkkn/database/KURIHARA/umashimenkana.html
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