2011年に惜しくも亡くなったサイ・トォンブリーの
たぶん国内では初めての美術館での展覧会。
絶対行くぞと思っていた。
既に7月。原美術館は駅から遠く、炎天下にとぼとぼ歩いていく。
しかし美術館の静かな敷地に入ると気分がすっとする。
ここではドローイングのみの展示。
この人の仕事は神話というキーワードも有名だが、今回はさほど強調されていない。
実物を見ると素材やタッチの強さ、荒々しさと繊細さが入混じり
アウトサイダーアートのような狙っても描けないのようなラインや反復もあり
画面を受け止めることができず、
何度も同じ部屋を訪れて見ることになる。
しかし不思議なことに印刷を見るとそれらが統合されているのだ。
実際とは異なるかもしれないが。
なんだろうなあこの人の仕事は。
分からないけど豊かである。
まだ会期半ばなのにカタログは既に売り切れ。
個人的には何度も足を運びたい展示。
トォンブリーのホームページを見ると立体も多く制作していたようだ。
立体も素晴らしい。是非実物を見てみたい。
サイ トゥオンブリー:紙の作品、50年の軌跡
2015年5月23日(土)-8月30日(日)
原美術館
http://www.haramuseum.or.jp
トォンブリーのページ
http://www.cytwombly.info/index.html
日曜美術館で紹介されていた、丹阿弥丹波子さんの作品がとても気になったので見に行った。
メゾチントの作品だが静物は静謐という言葉がぴったりの空気を纏っている。
特に心に残ったのは風景をモチーフにした小さな作品で、
見ていると気持ちが引き込まれていって泣きたくなる。
特別なことをしているわけでもなく、ただ版画と
モノクロームの語るちからってすごいなと思う。
そして今でもこういった作品を作っている人がいると思うと嬉しい。
調べてみたら同時期に茅ヶ崎市でも展示があったようだ。気づかず残念。
2015年4月4日(土)~6月30日(火)
ミュゼ浜口陽三 ヤマサコレクション
http://www.yamasa.com/musee/exhibitions/20150404-0630/
3月に突然4連休をとることになり京都に行ってみた。
一日目にたまたま行った韓国料理屋にPARASOPHIAのポスターを発見。
京都で初めての現代美術国際展であるとのこと。
この街で現代美術の展開をすること自体なかなか冒険である。
なんだか分からないけど見てみようと思う。
翌朝、とりあえず京都市美術館に行ってみる。
京都には何度も足を運んでいるが美術館に行ったのははじめて。
何故ならいつも寺かギャラリーに行ってしまうから。
ウィリアム・ケントリッジの2013年の作品がしょっぱなから出てきてびっくりする。
ちゃんとしてるじゃん!
建物も古くて複雑な構造で場を使った展示には合っている。
普段入ることができなそうな地下などが利用されており楽しんだ。
鴨川デルタ、堀川団地(ピピロッティ・リストがよかった)、
京都文化博物館(森村泰昌の作品がとてもよかった)も場に味がある。
京都の街を上手く活用している印象。
惜しむらくは、楽しげではあるが昨今の(国内の?かどうかわからんが)
現代美術国際展とカラーはさほど変わらない。
パフォーマンス等は一切見なかったし全て目は通していないのだが、
テーマ性が弱いかなあ?
そしてチケットは安め。
PARASPPHIA
京都国際現代芸術祭2015
2015年 3/7-5/10
http://www.parasophia.jp/
もう終わってしまったのだが秋から年末にかけて赤瀬川原平の展覧会があった。
今年は2月にもハイレッドセンターの展示が松濤美術館であったり
何故か赤瀬川原平の当たり年?だったといえよう。
にもかかわらず展覧会直前に作家が亡くなってしまい、大変ショックなのだった。
千葉という距離もあり重い腰を上げたのはぎりぎり最終日。
2フロアに分かれての展示だったが、そのうち1フロアはハイレッドセンターの展示で
松濤美術館の企画と被り既視感バリバリである。
まあ赤瀬川を語るにあたって模型千円札裁判は一番著名な
出来事であったのは間違いないので仕方がない。
それに今からすればハプニングがこんなに日本で脚光を浴びたことは
過去から現在においてもなかったのではないか。
個人的には日常に異なる視点を持ち込むという意味で
私の生活にも彩を加えてくれたトマソン芸術は赤瀬川の代表シリーズであり
これを見ることができたのはうれしかった(と言っても写真だが)。
また櫻画報の原画、美学校の資料などが展示されるなどの収穫があった。
展覧会の概要にもあるが、赤瀬川原平の仕事とは一貫して
(あるオブジェを突き詰めるて作るというのではなく)
常識的な見方から視点をずらし転倒を図るということに力点を置いてあり
しかしだからこそ一般にこれほど受け入れられたのではないか。
生活の中に違和や可笑しみを発見し思考を展開させ続ける、
これこそが生活の中にアートをということなのではないかと思った。
http://www.ccma-net.jp/exhibition_end/2014/1028/1028.html
赤瀬川原平の芸術原論-1960年代から現在まで-
千葉市美術館
2014年10月28日(火)~ 12月23日(火・祝)
一応、見れるときは見に行く横トリである。
この展覧会、正直がっかりする過去もあったものだ。
今回のディレクターは森村泰昌。
初めての国際展のディレクションとのこと。
まずはメイン会場の横浜美術館から見始める。
意外にもはじめの作品はマレーヴィチやジョン・ケージなど物故作家であった。
普通の現代美術館みたい。
絵画や楽譜などは普通、大型の国際展で見ることはないが
こういった作品により落ち着いて見始めることができる。
こんかいのテーマは「華氏451の芸術:世界の中心には忘却の海がある」
そのタイトルの通り、会場のところどころにあるキャプションに
どのような視点で忘却についてを捉えたのかという作品群についての説明があり、
鑑賞者は常にそのテーマと共に歩む事になる。
グッときたのは
「華氏451の旅
人類の歴史に繰り返し登場する、思想統制という強制的になにものかが抹殺される悲劇。これを冷静に見つめなおす旅。」
ここにはかんらん舎、大谷芳久コレクションの
三好達治や高村光太郎の戦時中に書いた戦意を鼓舞する詩などが展示されている一方、
松本竣介の家族に宛てた私信が展示されている。
当時の時代の要請(ニーズ)に応えたものだろうが前者は今の私には違和感しか感じない詩の数々。
私が就学時代に学んだ三好や高村の詩とは似ても似つかず衝撃を受ける。
後者はいつの時代も変わらない家族のやりとり。
タリン・サイモンの
インスタレーション「死亡宣告された生者、他、全18章の物語」は
ウクライナの児童養護施設の子供たちの写真をはじめとした主題とともに
その見せ方も素晴らしく、作品と共に隠された世界の向こう側を見る思いがした。
(事実は自分が目を閉じているだけなのだが)
また釜ヶ崎芸術大学など忘れられがちな人々が暮らす街を拠点としてアート活動を行っている活動も紹介。
全体として社会性の強い、今、見て感じる必要性を訴える作品が多い印象。
ピエール・モリニエやジョゼフ・コーネルなど内面に向かう傾向の作品も並行してあるのだが
混乱することもなく、楽しむことができた。
どういう仕組みでそう感じるのかは分からないが
やるじゃん森村泰昌というかんじ。
おすすめです。
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