選挙後、どうも相撲の話題ばかりで、
もりかけ問題も辺野古問題もどこか虹の彼方に消えてしまったやうだ。
と、ぼんやり思っていたのだが、この映画を見るととんでもないことになっていた。
私が気にしていなかったのかもしれないが
辺野古の「米軍基地」どころか
宮古島、石垣島の「自衛隊」ミサイル基地問題のことなど知らなかったし、
現地での民主主義がどんな風にふみにじられているか
(例えば議会を通さずに村長が設置を宣言してしまうとか)も知らなかったし
その知らなかったこと自体、自分に対してショックなのであった。
おかしいな。メディアはどこにいったのか?
議会を通さず基地設置が決められたことに対して
30歳くらいの幼い子どもを抱えた母親たちが
役所に陳情に行っても相手もしてもらえないことも
「税金を使って地域住民に公共サービス提供するのが役所」と思っている人にはショックだと思う。
70年前に犠牲になることを強いられた人々が、再び国から一方的に前線になることを決められて
見ている私だって「人をなめてるよ」と思う。
その後母親の一人は補欠選挙に当選し、3人の子どもを抱えて戦い続けているのだが。
そして私が気の毒になったのは現地に派遣されている警官や機動隊員でもあった。
「こんな仕事するつもりで警官や機動隊に入ったわけではないだろうな」と思ったし
意見を表明することも封じられている。(のか?)
何を考え、どう振舞えばいいのか。あるいは考えること自体を自ら封じてしまうのか。
彼らと自分が妙に重なる。
そしてこんな風に生きている間に殺されちゃうのかもしれないなと思う。
映画『標的の島 風(かじ)かたか』公式サイト
hyotekinoshima.com
4月にパラジャーノフ映画特集が組まれたので見に行ってきた。
生誕90年とのことである。思ったより若かったのか?
いままで見たことがない2作品が「アンドリエーシ」と「石の上の花」で
これらを見ることを目的にしていたが
「アンドリエーシ」を見たところ素朴すぎて寝てしまったため
気を取り直して不滅の名作「ざくろの色」を見直すことにする。
やはり不滅であった。
どのショットを取っても完璧な色や構図。音もすばらしすぎて
始まりから目が離せない。
布がざくろ色に染まっていくシーンや、本が雨でずぶずぶに濡れるシーンだけでも圧巻!と思う。
https://pandorafilms.wordpress.com/parajanov/
ヒップホップに特に興味があるわけではないが、岡真理さんのサイトを見て
この映画の存在を知り、行ってみた。
自国の中にも関わらず幽閉状態にあり
日々イスラエルの攻撃に晒されているパレスチナの人々の中で
若者たちがヒップホップを通じて表現を始め、
そしてそれは老若男女のパレスチナの人々の支持を集める。
国内の同じ状態の仲間たちと会うことすら認められず、
検問を通過できなかったため予定されていたライブにも参加できなかった
ガザのヒップホップグループPRに対しDAMのメンバーがコールする場面は泣ける。
ある意味、表現の源泉に触れたようにも思うドキュメンタリー映画であった。
一方、その夜、図らずも武器輸出三原則を踏みにじり米国に武器部品を輸出することに決めた
日本のドキュメンタリー番組も見て恥ずかしさに打ち震える。
日本政府の者がイスラエルの武器ブースで話をするのだが
そこでは「ガザのロケット攻撃を避け、見事攻撃を成功させた」イスラエルの無人機が
カッコイイ音楽を使ったプロモーションビデオで紹介されていた。
しかも米国の弾頭がパレスチナの地域に落とされているのを昼の映画で見ていたから
「日本は提供した部品を使って米国が作った武器がどこに輸出されようと関与しない。
なぜなら国際社会が見ているから」という政府職員の酷い無責任ぶりに気が狂いそうになる。
そもそも「国際社会」に参画しているという自覚が皆無なことだけは確かだな。
宮崎駿監督も引退されるということで見てきました。
恋愛表現は若干古きよき時代表現という感じだが
全体としては「困難な時代を生きる人間の姿」というテーマに見合った内容。
また、ところどころに登場する人間の声の効果音が特徴的。
しかし一番感心したのは
ドキュメンタリーにも紹介されていた1年半かけて作ったという
関東大震災時のモブの描き方。
同じ方向に歩いている集団に見えても、
細やかな描き込みによりそれぞれの個人を感じることができ、
監督の以前のモブとは異なる。
これは東日本大震災という体験を踏まえた新しい表現
しかも私たちが必要としていた表現のひとつなのではないかと感じた。
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