ケントリッジといえば1999年ベネチア・ビエンナーレで見て
アン・ハミルトンと共に最も記憶に残った美術家の一人。
南アフリカ出身で日本では初めての展覧会。
ドローイングを描き、コマ撮りし、それを消してまた描くという
思い切った手法をとり、アニメーションを作った作家である。
南アフリカ出身作家といえばロビン・ロードといい、
アナログ手法を逆手に取ったような傾向を感じるが
これは紹介する側の問題だろうな。
まあとにかく力があります。
だがビエンナーレで見たアニメーションが1点ものだったせいもあるが
一度に沢山のアニメーションを見るのは
見るほうも力が要るのです。
展示の前半は政治的テーマと自我にみちみちたアニメーション、
後半はカメラオブスキュラなど、視覚的手法に興味が移ったような作品が増えてきますが
個人的には前半のベタベタな「この世の悩み」的なアニメーションに妙なリアリティを感じて惹きつけられます。
ドローイングも美しい。
デブでハゲなウィリアムのハダカがまたもやラブリー。
2010年1月2日(土)~2月14日(日)
東京国立近代美術館
ウィリアム・ケントリッジ 歩きながら歴史を考える そしてドローイングは動き始めた……
http://www.momat.go.jp/Honkan/william_kentridge/index.html
といっても本日で終了する展覧会なのですが。
既にテレビで放映されたこともあり、カタログも売り切れだそうである。
土日はチケット売り場が30分待ちとのことだが。
近所に住む絵描き友達と平日の午後早い時間に会場に。1室目には数名のお客さんが。
友人によると「とても混んでいる」とのことである。
フロアは概ね3つに分かれており、
1つめは美術館のショーケースをそのまま使った展示で窓はなく、照明は作品の豆電球のみ。
ショーケースに反射して密やかで幻想的な空間を作る。
ショーケースの中を歩くこともできるようになっており、そこではショーケースの中のものと外にあるものと
ガラスの反射が視覚的に交錯しており、しかもモノが全て小さな、透明なモノなので個人的で不思議な空間を感じることが出来る。
二つ目は窓からの自然光のみ。青系のプリント布が全体に敷かれてあり
その上にはとても小さな文字がプリントされた手のひらくらいの紙が重なってある。
三つ目は外の吹き抜けにリボンをつるしたものと、天井につるした透明無色ビーズの紐と、床に置いたジャム瓶に入った水。
何が言いたいかというと、
我々が「はっきり見たい」と思って電気をつけたりすることにより
損なわれてしまうようなものに気付くことができるように作られた展示空間、ということだ。
しかしこういうインスタレーションがある中、絵画の役割はどこにあるのでしょうかね。
瓶には水が入っているが、傍にこぼれた跡がある。「毎朝注ぎ足すときにこぼれたのかな」と思う。
鎌倉館を出て、葉山館のイタリア在住の日本人彫刻家の展覧会(詳細省く)を見て
再び夕方、舞い戻り、池に面したベンチに座って
池の上につるされたビーズ紐を見ながらあんドーナツとペットボトルのお茶を飲む。
夕方の光で見ると二つ目の空間がとても違う。
昼は布だったが夕方には海原のように見える。
三つ目のリボンは透明っぽいので昼の光があたったほうがきれいに感じられた。
そのリボンを見ながら歩いているうちに、なんと足元の瓶を蹴りたおしてしまう。
「すすすすみません!!!!」と言うと「いいんです、大丈夫です」と監視員の人は言ってくれたが
破損がないという事実よりも、日常行為を持ち込んで展示空間を破壊したことに深く落ち込む。
よろよろと一室目に戻り、友人に「おら、とんでもないことしただ」と告白すると
「ああ、それで昼も水がこぼれてたんだ。たしか水のポットもおいてあったもんね」と慰めてくれる。
しかし一人になりたくなくなったので友人にくっついて二つ目の布の部屋に戻ると
監視員の人が友人に声をかけている。地元の友達かと思い、会釈して美術館を出たところ
バイト先の病院の顧客とのことである。
「看護婦さんって言われた…絵で食えないからバイトしてるのに、美術館でも看護婦さんか…」
と友人も落ち込んでしまった。しかも看護婦さんじゃないし。
-2010/1/24
神奈川県立近代美術館
内藤礼
「すべて動物は、世界の内にちょうど水の中に水があるように存在している」
http://www.moma.pref.kanagawa.jp/museum/exhibitions/2009/naito/index.html
友人の誘いで絵の具メーカー「クサカベ」の工場見学へ。
クサカベは、油と水彩絵の具として有名なメーカーなのだが、
電車で見に行ける距離に工場がある。
誘ってくれた友人は普段、日本画絵の具を使っているが、
最近絵の具の原料を調べることに凝っていて、
原料は日本画の絵の具でも共通項が多く、
そのため友人の個展にたまたま用事で訪れたクサカベの人を質問攻めにしてしまい
「そんなに知りたいなら工場見学に来てください」と言われたとのことであった。
和光市の住宅地にぽつんとある小さな工場では十数名が働いている。
思ったより小規模だが、他に2つ工場があるらしい。
出迎えてくれた人は友人が質問責めにしたおじさんで蓋を開けてみれば副社長であった。
「勉強熱心な作家さんなのでちゃんと案内するように」とのお達しで
(私は別に熱心じゃないのだが)技術開発の人が案内してくださる。
この工場では開発と生産を行っている。
絵の具がどのようにできるかを簡単に言えば
顔料屋から仕入れた顔料を
アラビアゴムや、オイルなど異なるメディウムと混ぜることにより
水彩絵の具(アラピアゴム)や油絵の具(オイル)となるのである。
生産量は水彩と油で言えば圧倒的に油絵の具のほうが多く、
機械は同じものを使うそうだが、油絵の具の生産に使う割合が高いそうである。
私たちの訪れた日にはやはり油絵の具を作っていた。
工場での大まかな工程としてはこんなかんじ。
(1)メディウムの調合、顔料の調合
(2)調合された顔料とメディウムを練りこむ
(3)練った絵の具の粒子を揃える
(4)品質検査 色味や粘りや粒子
(5)チューブに入れる
(6)ラベルを貼る、製品番号を印字する
(7)箱詰め、出荷
工場見学の後、どのような絵の具が作るのが難しくて
どのような絵の具の退色が激しいのか、
素材はどの国で生産しているのか等、質疑応答形式で教えてもらう。
それらの話の中から、私の場合、薄々気付いていた課題が明らかになる(ううう)。
最後に実習でウルトラマリンブルーの水彩絵の具を作ってお土産に貰って帰る。
これら全部で4時間の案内であった。
クサカベさん、どうもありがとう。
最後に1:クサカベでは近年「アキーラ」というなかなか乾かない絵の具を開発したとのこと。
アクリルとも水彩とも油絵の具とも違うんだそうですが
聞いたかんじでは油の代替と位置付けたほうがよさそう。
臭くない油というか。ご興味のある方はお試しあれ。
最後に2:日本画絵の具は京都でしか見ることが出来なさそうな印象で私は未だ見たことがない。
柿落としは所蔵作品の速水御舟展!ポスターは「炎舞」!
てことで新しく生まれかわったと主張する山種美術館へIと共に偵察に出掛ける。
平日昼間だというのに混んでおり
推定65歳以上の人々が会場を埋め尽くしていた。
賑わっている山種美術館を見たのは生まれて初めて。
いつもの閑散とした美術館を想定していたのか館の設計は全体に狭い。
また、重要文化財を持っているせいか、展示会場が地下にあり閉塞感がある。
つまり地下の狭い部屋で高齢者とぎゅうづめになって御舟を見たわけだ。
うーん、展示作品は良かったが(特に「春昼」を見れたのは収穫)ストレスのたまる展覧会だ。
流行らなくなったらまた来てみようというかんじ。
動物愛好家Iの御舟の感想は「動物の目が死んでいる」とのことだった。
うんそうだね。
素材に「闇」などが記載されていたりする、とてもリリカルな立体作品。
暗闇の室内でドローイングができるという体験ルームがあり、人がいないので気まぐれに入る。
その中で鳩と魚などを描いてみるが「鳩と魚を描く自分はなんなんだ」と出てから思い、持ち帰りを拒否。
ちなみに同じような状態で作者の描いたドローイングはやはりアブストラクトで作品としてちゃんと立っている。
世代的なものを感じるのは「生命」をテーマにしたときに出てくるネタとして
「種」や「核」が挙がるところなど。
私も当時チェルノブイリの放射能入り雨を浴びたのに
(日本でも雨傘戒厳令が敷かれたのにどしゃぶりの雨にあたってしまい、
通りがかりの見知らぬおばさんに傘に入れてもらったことがある。感謝)
「核」のことなど忘れ去っていたよ。
これからますます流行る傾向にあるのに何故かブームを終えたかに見える原発問題。
このように社会と体感と想像力を織り交ぜた展示内容なのである。
この企画は近美が数年かけて実現したという噂をとあるギャラリーで小耳に挟む。
入場料も通常より安い850円を設定。
地味ながら常設展示も見ることができ、
近代美術館らしいしっとり感のある現代美術企画。
~12月13日(日)
東京国立近代美術館
http://www.momat.go.jp/Honkan/kawaguchi_tatsuo/index.html#detail
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