行政刷新会議にて以下の芸術文化予算の削減が結論されたようです。
芸術家の国際交流:予算要求の縮減
伝統文化子ども教室、学校への芸術家派遣、
コミュニケーション教育拠点形成:国の事業として行わない
「行政刷新会議事業仕分け対象事業についてご意見をお寄せください」
とのことなので皆様是非ご意見を。12月15日までだそうです。
http://
ちなみに私が送ったのがこれ↓
(他の美術家が送った内容をちょろ聴きしていたので内容が被らないようにちょっと偏って書いていますが…)
削減はともかく、そもそも政治家として文化芸術をどうしていきたいのか考えているの?
というのが趣旨なんだが。
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日本では商業芸術の対象にならない現代美術や身体芸術、伝統芸術の作家、音楽家が多くおります。
特に現代芸術においては企業がスポンサーにつくことも無く、ジャンルも曖昧なため
成果を図るのに賞や儲けや一般への知名度を基準にするのにはそもそも無理があると思います。
ただし、このような現状を踏まえて、文化庁が「成果」確認する方法や「質」を見極める方法を
専門家と決めていく必要はあると思います。
しかし芸術支援とは、お金儲けや有名人を作るためのものなのでしょうか。
事業仕分けで「役に立っているのか」というのは「何の」という点が非常に曖昧な気がしました。
私は、議論以前に、皆さんが芸術や芸術家の定義や国際交流の目的を共有しておくことや、
日本にとっての芸術をどのようなものにしていきたいか、というイメージを各人に持っていただくことのほうが
より重要なのではないかと思いました。
例えばニューヨーク市では芸術家の定義を以下のように挙げています。
※「ニューヨーク―芸術家と共存する街」より
1.商業的芸術ではなく、純粋芸術 ーすなわち絵画、彫刻、振付、映像、作曲等
その他を含むものの創作を不断に進行させている個人。
2.自己の表現形態に真剣かつ不断に傾倒してきたことを証明できる個人。
3.現時点でも、その表現形態に専心、従事している個人。
文化は国のアイデンティティである思います。
アメリカはかつて、アメリカンアートを旗印にして欧州からアート市場を奪い、
いまや世界一のアート市場を形成しています。
当然ですがこれは作家個人の仕事ではなく、アメリカの文化庁に相当する部門が
仕組んで行ったいわば国策です。
フランスもまた、国外の優秀なアーティストを保護することにより文化大国として成功しました。
芸術の分野では作家がアルバイトをしながら手弁当で維持、発展させているのが現状です。
個人の力で国外に出て、国際的なレベルでの競争力をつけることなど出来る状態にありません。
このような意味において文化庁の在外派遣は貴重な制度として機能していると思います。
科学技術同様、日本の芸術文化には素晴らしいものがまだまだあります。
この行政刷新会議の向こうに一体どのような日本のアイデンティティを形成していきたいのか、
今一度お考えいただきたいと願います。
FOILでこの度刊行した写真本「HOUSE」の展覧会。
建築&風景の写真なのだがモチーフを選ぶ視点が魅力的。
かつてそこで生活した人間の時間を偲ばせる。
不在となった現在の建築物の姿(砂に埋まっていく、あるいは鳥だけが住んでいる)が美しい。
- 11月2日(月)
FOIL gallery
http://www.foiltokyo.com/gallery/exhibitions.html
ゴミを再生する、といえば思いつくのはリサイクルだが、「再生」といいたくなる。
しかしアルテポーヴェラってこういうのがホントなんじゃ。って思うね。
発砲スチロールの壊れた箱や駅弁の紙箱やDMになっているのは箪笥だが
生活のなかで打ち捨てられた者たちを別な発砲スチロールとか石膏とか、紙箱を使って
パッケージを絵の具で書き足して「再生」する。
客観的に見ると「修復」と言うのが適当だが、狙っているのは修復じゃないんだな。
見ていると「ブラックジャックみたい!」とどきどきわくわくする。
~ 2009年10月31日
ギャラリー現
http://www.jpartmuseum.com/jam_live/g_gen212/
居住地の家屋の廃材と絹の綿、ガラスを使って作られた作品。
人の手、素材としての木(下記のウェブにも書いてあるが)両方に対しての寄り添う態度、
そして繊細な見せ方のセンスに好感を持つ。
~10月25日(日)
トキ・アートスペース
http://homepage2.nifty.com/tokiart/091012.html
庭園美術館で開催された、手芸系アートの日本人作家を集めた展覧会である。
手芸的手法といえばルイーズ・ブルジョアやアネット・メサジェなどキャリアをつんだ大物が
随分前から取り入れていたが、ここ数年で平面作品の手法としてぱーっと普及してきたように思える。
私が気付いたのが日本ではフィリップモリスアートアワード2000の秋山さやかの作品くらいから。
2年前行った米国のレジデンスでもマッチョな男性彫刻家がロビーで編物をしていたり
推定65歳くらいの女性アーティストがアナーキーな刺繍作品を作っているのを
「あー、手芸が流行ってんなー」と見ていた。
ちなみに私は手芸嫌いである。何故なら肩が凝るから。
最終日だけあって展示会場はそこそこ混んでおり、20代女性客が多かった。
待ち合わせたT2は「チケットを買うとき、ドレスコード割引されちゃったよー」と驚いていた。
レースものを身に付けていると割引きが適用されるらしい。
概ね想像を越えない無難な展覧会だったが、
そのなかでただ一人、奥村綱雄だけが異色であった。
庭園美術館のウェブサイトでは制作をしている奥村綱雄の画像しか載っていないが
他の作品が刺繍的手法を全面に押し出しているのに対し、
奥村の作品は実物を前にしても「えっ、これって本当に刺繍?」と目を疑う作品だ。
一見、色面。よーくみると一つ一つは見えるかどうか分からないくらいのつぶつぶした縫い目がある。
禅僧ですか?と聞きたくなるほどストイックな作品である。
チラシや画像では絶対に分からない。
他の作品に比べ、最も小さいサイズの作品。長辺30センチないのではないか。
それでも負けていないのがすごい。
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